ゲームプレイ環境とゲームデザインの適合構造
「ゲームプレイ環境とゲームデザインの適合構造」という章を「ゲームデザインの理論」のドキュメントに追加しました。
このエントリでは、その章の抜粋(と少しの編集)と、書きながら悩んだことをあとがきとして紹介します。
ゲームプレイ環境とゲームデザインの適合構造
「ゲームプレイ環境とゲームデザインの適合性」の章では、
ゲームプレイヤーは、自身のプレイ環境に適合するゲームデザインを期待する
ということを主張しました。
下記の図は、ゲームプレイ環境とゲームデザインがうまく適合していない状況の一例を示しています。
ゲームプレイ環境の定義は以下です。
ゲームのプレイ環境とは、ゲームプレイヤーとゲームを取り巻く現実世界の空間に存在する人および人工物の集合である
ゲームデザインの定義は以下です。
ゲームデザインとは、人を楽しませたり、面白くさせるという目標を達成するために必要であるとして決定した事柄(デシジョン)の集合である
この章では、ゲームプレイ環境とゲームデザインを関係付けます。関係付けたモノをここでは、「ゲームプレイ環境の適合構造」と定義します。
ゲームプレイ環境の適合構造とは、ゲームプレイ環境を構成する要素(エンティティ)とゲームデザインの要素(デシジョン)との間の適合関係から成るモノである
下記の図は、ゲームプレイ環境の適合構造のモデルを示しています。
このモデルでは、デザインがプレイ環境に「適合している」という関係ではなく、「適合していない」という関係を強調するモデルです。
図の下部の例は、以下のように解釈します。
「セーブデータは一つ作れる」というデシジョンは、「ゲームをする家族がいる」というプレイ環境に適合していない
あとがき
書きながら悩んだことの一つは
- 読者、特にゲームデザイナーの方からの「だから何?」
という質問に答えられるかどうかです。
回答の一つは、「どんなプレイ環境でプレイされるのかを想定してデザインする必要がある」というものです。しかし、この回答の粒度と上記の議論の粒度とは一致していないように思えました。つまり、一つのエンティティとデシジョンが(不)適合関係にあるかどうかという議論は、粒度の小さいものに感じます。
もう一つ悩んだのは、適合の定義です。
- 適合しているかどうか、あるいは、不適合かどうかの判断基準は何でしょうか?
- そもそも、適合している/していないの二択なのでしょうか?
適合とは、ある/ないでなく、度合であるように感じます。しかし、このことをうまく表現できませんでした。
以下は、考察です。
- (1) すべてのデシジョンがプレイ環境でのエンティティと適合関係を持つわけではない:
別の言い方をすれば「特定のデシジョンが特定のエンティティと関係を持つ」ということです。
- (2) ゲームプレイ環境の概念だけでは不十分である:
「プレイ環境」だけでなく、「プレイ状況」あるいは「プレイ文脈」という概念と、ゲームデザインの関係付けが必要に思っています。
一つの事例としては、「ゲームの時間設定(その1)」という記事が参考になります。この記事では、通勤電車に乗っている20分くらいの時間に適したゲームの遊び方をしたいのだけど、既存のバズルゲームなんかは、そういうふうになっておらず、時間の無駄ができて不満だ、と書いています。つまり、「20分のスコアアタック」がなく、あるのは、開発者が決めた「○分間のスコアアタック」だけであり、プレイヤーが自由に時間を設定できないと書いています。
この例でのゲームがプレイされている様子は、プレイ環境というよりは、プレイ状況と呼ぶのが適しているように思えます。プレイ状況は、たとえば、以下のように記述できます。
- 「プレイヤーは、通勤電車に乗っており」、
- 「乗っている時間は20分である」
この状況と不適合なのが、たとえば、以下のようなデシジョンです。
- 「30分間のスコアアタックモードがある」
不適合から発生するプレイヤーの不満は、以下のようなものです。
- 「時間の無駄ができる」
このことからは、
ゲームプレイヤーは、自身のプレイ状況に適合するゲームデザインを期待する
と考えられます。
とはいえ、プレイ状況の定義とさらなる分析が必要です。