ゲームプレイヤーが考えること、ゲーム開発者が考えること
ふと思ったことをなんとなく書いてみる。
ゲーム開発者だけでなく、ゲームプレイヤーも良いゲームとはどんなゲームか、悪いゲームとはどんなゲームか、を考えるんだなと。
たとえばスレでみんなで語ったりされる。
最近だと、ドラクエ9でゲームを議論する人が多いんじゃないかと思う。いくつか例を。
- ドラクエ9をつまらなくする方法
- 「ドラクエ9をつまらなくする方法」の反省会
- 「ドラクエ9をつまらなくする方法」の反省会・反響編
- ドラクエ9とナマモノ的ゲームデザイン。
- 大都市のライトユーザー向け ドラクエ9について
- DQⅨ擁護の記事にはもううんざりだ…
- DQ9 つまらなくする方法じゃなくてつまらないと感じる層
さて、疑問は、ゲームプレイヤーとゲーム開発者の視点って同じだろうか? ということ。もっといえば、同じテーマで考えつつ、違う結論に達するとしたら?
情報の流れとしては、次の4つがある。
- ゲームプレイヤーからゲームプレイヤーに伝わるもの。
- ゲームプレイヤーからゲーム開発者に伝わるもの。
- ゲーム開発者からゲーム開発者に伝わるもの。
- ゲーム開発者からゲームプレイヤーに伝わるもの。
それぞれの中でゲーム論が議論され、理解が深まり、共有されたり、共感されたりする。自分ではうまく説明できなかったあるゲームの良さ・悪さを誰かがうまく説明してくれることで、納得したり納得できなかったりする。
ただし、情報の伝わり方の程度は異なる。特に、ゲーム開発者からゲームプレイヤーへの伝わり方の頻度は低いように思える。「こうなっていれば面白かったはずなのに、なぜこのゲームはこういう仕組みになのか?」プレイヤーは、自分の理解を確かめることはできず、基本的には推測するしかない。
同じテーマで考えつつ、違う結論に達するとしたら?
プレイヤー間でのゲームに関する理解の進み方の程度、ゲーム開発者間でのゲームに関する理解の進み方の程度、この違いはどういう結果になるか?
というのをなんとなく思ってみた。